ウーブログ

Mr.Childrenが大好きな一教師のブログです。

19「捕らえ方次第だ」の巻

様々な「出来事」が、私たちにいろんな「感情」を生じさせる。

実はそれ、ちょっと違います。

「感情」を生じさせるのは、必ずしも「出来事」ではなく、自分自身の「認知」(考え)だからです。怒り、悲しみ、喜び。これらの感情を生むのは、「出来事」ではなく、自分です。同じ「出来事」に対しても、怒る人と怒らない人がいる。などということが、それを証明していますよね。

 

「悲しい出来事」というふうに言いますが、これは「私が悲しいと思う出来事」ということになるでしょう。

 

認知行動療法では、「出来事」があると、そこからほとんど自動的に「考え(認知)」が生じ、その結果として「感情(気分)」「行動」「体の反応」等に様々に影響を与え合う、とされています。

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これは科学的に根拠のある理論ですが、なんとMr.Childrenの「CENTER OF UNIVERSE」という歌の中でも、まさにこのことが歌われているのです。ミスチルはすごいですね。

 

ここで、とあるエピソードを例として挙げます。

(以下、エピソード)

 

太郎さんは、二郎さんと遊びたいなと思い、二郎さんに電話をかけました。昨日、二郎さんが「明日は暇だ」と言っていたから、二郎さんを誘えば一緒に遊べると考えたからです。ところが、二郎さんは電話に出ませんでした。そこで太郎さんは、二郎さんに「今日一緒に遊ばない?」とメールを送りました。しかし、これにも二郎さんからの返事はありませんでした。

太郎さんは「暇だと言っていたのに、どうして連絡が取れないんだ。もしかしたらおれと遊びたくないのかな。おれ、何か嫌なことしたかな。うざがられてるのかな。」と思いました。そう考えると不安な気持ちになって、二郎さんにそれ以上連絡をすることがためらわれてきました。さらには、やらないといけないレポートにも手がつかなくなり、困りました。

 

 

この例では、太郎さんは「不安」になり、課題であるレポートにもロクに「取り組めず」、困ってしまいました。

太郎さんがこのようになったのは、二郎さんから連絡が返ってこなかったことがきっかけ(「出来事」)ではありますが、「不安」や「レポート未着手」などのことまで全て二郎さんのせいとは言えません。

この事例は、「太郎さんの考え方」次第で、違う方向に向かうことができるのです。

 

一連の流れを「出来事」「考え」「気分」「行動」で整理します。

 

「出来事」

二郎さんが電話に出なかった

二郎さんからメールの返事がなかった

 

「考え」

おれと遊びたくないのかな

おれ、何か嫌なことしたかな

うざがられてるのかな

 

「気分」

不安になった

 

「行動」

レポートに手がつかなくなった

 

ここまで分析できれば、あとはそう、捕らえ方次第です。

「出来事」→「考え」→「気分」・「行動」の流れの中で、太郎さんが変えることができるものはどこでしょうか。

出来事は変えられません。気分を変えようとしても難しいです。ここで「考え(認知)」や「行動」に着目して色々やっていくのが認知行動療法です。

 

さて、不安な「気分」にならないために、太郎さんは「おれと遊びたくないのかな」「おれ、何か嫌なことしたかな」「うざがられてるのかな」以外に、なにか他の考え方ができないでしょうか。そう言われても、いきなりは難しいかもしれません。

 

しかし、このように考えてしまう時は、

「本当にそうか?」「そうかもしれないけども、あえて別の見方をするとすれば?」などと考えてみると、「電話ににでない」「返事がない」ことの理由としては、実際はいろいろな可能性がありますよね。

 

暇じゃなくなったのかな

ケータイを見れないのかな

寝てるのかな…etc

 

このような考え方に変えることができると、先ほどの太郎さんよりは、不安の程度は軽くなるのではないでしょうか。

 

これは、認知行動療法での、基本的な考え方の一つです。

 

さてここで、冒頭で述べたMr.Childrenの『CENTER OF UNIVERSE』ですが、こんな歌詞があります。

 

"あぁ世界は薔薇色
総ては捕らえ方次第だ
ここは そう CENTER OF UNIVERSE"

 

私は、これは実に素晴らしい歌詞だと思います。

ある意味では開き直り的な明るさで、この世の中を楽観している曲のようにも聞こえます。「総てはそう 僕の捕らえ方次第だ」という思想は、曲名からも読み取れます。
この曲の解釈については、文字通り「捉え方次第」であることを桜井さん自身がインタビューで語っています。


「今世の中で起こっていることを悲観的に捉えることも楽観的に捉えることもできる。『あぁ世界は素晴らしい』という歌詞も、ある角度から見ればものすごく皮肉なように捉えることができるし、本当に世界は素晴らしいんだと思いこむこともできる。どんな角度からも見れる自由な心があれば色んな場面に対応して行けるんじゃないかと思う」

 

なるほど、これは「柔軟な想像力の歌」とも言えるのではないでしょうか。

心への影響度合いという点において、リフレーミングの重要性をうたっているとも言えるでしょう。

 

「裸の自分で挑んでく」という歌詞は、固定観念も偏見もなく、自分自身の自由な心(裸の自分)で物事と対峙するということでしょう。

この曲のミソは、ある意味ではこの部分にあるのかもしれませんね。

 

「CENTER OF UNIVERSE
まだ認知行動療法など言葉すら知らない高校生の頃の私に、自由で縛られない心で生きていこうと思わせてくれた、恩人ならぬ恩曲です。

https://youtu.be/AOySfMfNMSA

↑の動画の7:00あたりから、CENTER OF UNIVERSEが始まります。