ウーブログ

Mr.Childrenが大好きな一教師のブログです。

24「花、彩り、賛美」の巻

1996年、春。

Mr.Childrenは「花 -Memento-Mori-」という曲をリリースした。

 

『負けないように 枯れないように

笑って咲く 花になろう』

 

サビのこの歌詞に支えられた人も多いだろう。

 

2番では

 

『等身大の自分だって きっと愛せるから

最大限の夢描くよ

たとえ無謀だと人が笑ってもいいや』

 

と、大きな夢を描くと歌う。

 

これは自己肯定感の歌ともいえる。

 

 

そして10年後。

2006年、夏。

Mr.Childrenはフェスにて「彩り」という曲を初披露した。

 

『僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑』

 

大スターのミスチルがどうしてこのような庶民感動ソングを歌えるのか不思議で仕方がない。明らかに悟っている。

 

2番の歌詞ではさらに、

 

『憧れにはほど遠くって 手を伸ばしても届かなくて
カタログは付箋したまんま ゴミ箱へと捨てるのがオチ
そして些細な生き甲斐は 時に馬鹿馬鹿しく思える
あわてて僕は彩を探す
にじんでいても 金 銀 紫』

 

と、あるがままを受け入れ、その中に幸せを見出している。

 

等身大の自分を愛しつつ「最大限の夢」を描いていた20代。

あるがままを受け入れて「現在の暮らし」を讃えた30代。

 

そしてさらに時は流れ、2020年、冬。

Mr.Childrenは「The song of praise」という曲を発表した。

 

『積み上げて
また叩き壊して
今僕が立ってる居場所を
憎みながら
愛していく
ここにある景色を讃えて』

 

「花」から24年、「彩り」から14年を経たMr.Childrenの詩。

 

『いつも取るに足らないことに頭悩まされてた
毛頭 それで何か変わりそうな予感すらしていないのに』

 

これは、同年代の友人たちが家族を築いていった頃のことだろうか。

 

『昔は 自分の価値を過信しては
高い空を見上げて過ごした』

 

これは、最大限の夢を描いていた頃のことだろうか。

 

『駅ビルの四角い窓から
時々 夕日が顔を出し
憐れむように
讃えるように
僕の顔を照らした』

 

これは、彩り的な自己肯定か。

 

『僕に残されている
未来の可能性や時間があっても
実際 今の僕のままの方が
価値がある気がしてんだよ』

 

これは、あるがままを受け入れることができたからだろうか。

 

『そう誰もひとりじゃないんだ
僕だって小さな歯車
今なら 違う誰かの夢を通して
自分の夢も輝かせていけるんだ』

 

これは明らかに彩りのスピリッツとリンクする。

 

『誰もひとりじゃない
きっとどっかで繋がって
この世界を動かす小さな歯車
誰もひとりじゃない
だからどっかでぶつかって
この世界で藻掻く小さな
そう小さな歯車』

 

これは、「現在の暮らし」を、リフレーミング的にいろんな角度から見ている。

憐れむように、讃えるように、その愛眼差しで人を観ている。

 

『積み上げて
また叩き壊して
今僕が立ってる居場所を
嫌いながら
愛していく
ここにある景色を讃えたい』

 

「彩り」的に、現在を「受け入れる」ことができたからこそ、「讃える」ことが可能となる。

さらに、それをも叩き壊して、また積み上げる。

よりよくあろうとする「花」的スピリッツも、ないものねだりを辞めた「彩り」的スピリッツも失われていない。

「積み重ね」て、「踏まえ」ている。

 

その魂は、時の経過とともに風化することなく、時間のタオルで磨かれている。

 

これが、いまのMr.Children

 

参考

Mr.Children「花 -Memento-Mori-」1996年

https://youtu.be/mdo-oEZ5_24

 

Mr.Children「彩り」2006年

https://youtu.be/Qg8-a4xq_o8

 

Mr.Children「The song of praise」2020年