29「認知再構成法と彩り」の巻
こんにちは。
ミスチル療法(Mr.Children×認知行動療法)のお時間です。
今回は、認知再構成法について、Mr.Childrenの名曲『彩り』を通して考えていきたいと思います。
まずは「認知再構成法」について簡単に紹介します。
認知再構成法とは、物事に対する考え方(認知)をより現実的で適応的な考え方に修正していく心理療法の手法の一つです。これは認知行動療法の代表的な技法であり、感情をコントロールし、問題解決へと導くことを目指します。
認知再構成法は、特にうつ病や不安障害など、ネガティブな感情や思考に悩む人に有効とされていますが、私はもっと幅広く、より多くの人々にとって有効なものだと考えています。
具体的な実践方法としては、一般的に「コラム表」と呼ばれるワークシートを使用し、以下の手順で進めます。
- 1.状況の書き出し: 不快な感情を伴う出来事の状況を具体的に書き出します。
- 2.気分の記録: その時の感情の種類と強さを0~100%で記入します。
- 3.自動思考の特定: その状況で頭に浮かんだ考えやイメージ(自動思考)を書き出します。
- 4.根拠の検討: 自動思考を裏付ける客観的な事実や根拠を記入します。
- 5.反証の検討: 自動思考とは異なる可能性や、別の見方、反証となる事実を考えます。
- 6.適応思考の再構成: 根拠と反証を踏まえ、よりバランスの取れた、建設的な考え方(適応思考)を導き出します。
- 7.気分の再評価: 適応思考を導き出した後の気分の変化を0~100%で評価します。
- これは、人が友達やカウンセラーなどに相談して気持ちが軽くなるときの流れと同じです。つまり、この「認知再構成法」のスキルが身につけば、自分で自分の心を軽くすることができるのです。
さて、ここでMr.Childrenの『彩り』の歌詞を見てみましょう。
ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしてく
コーヒーを相棒にして
いいさ 誰が褒めるでもないけど
小さなプライドをこの胸に 勲章みたいに付けて
僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑
今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を
取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種になれた気がして
夜が明けて また小さな庶民
憧れにはほど遠くって 手を伸ばしても届かなくて
カタログは付箋したまんま ゴミ箱へと捨てるのがオチ
そして些細な生き甲斐は 時に馬鹿馬鹿しく思える
あわてて僕は彩を探す
にじんでいても 金 銀 紫
ただいま
おかえり
なんてことのない作業が この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 増やしていく 水色 オレンジ
なんてことのない作業が 回り回り回り回って
今 僕の目の前の人の笑い顔を作ってゆく
そんな確かな生き甲斐は 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 頬が染まる 温かなピンク
増やしていく きれいな彩り
いやぁ、実に素敵な歌ですね。桜井さん、私の人生の中に『彩り』を連れてきてくれて本当にありがとうございます。
では、この『彩り』を認知再構成法の観点から見ていきましょう。
7つのコラムを使用する『7コラム法』で考えると、このようになります。

いかがでしょうか。
『彩り』では、「自分の仕事や日常はちっぽけに思えるけれど、誰かの役に立ち、世界を彩る一部になっている」という視点が提示されています。
この認識が、「癒し」として作用し、心が晴れ、自己肯定感の向上につながります。
認知行動療法では「自動思考(ネガティブな思い込み)」に気づき、それを別の角度から捉え直す「認知再構成」が重要ですが、『彩り』は、まさにこの認知再構成法の実践に近いのです。
-
ネガティブ認知:「自分の仕事は意味がない」「ただの繰り返しだ」
-
再構成後の認知:「日々の営みも確かに誰かの役に立ち、世界を形づくっている」
つまり『彩り』は 「過少評価された日常を価値あるものに見直す」認知再構成の音楽版 と言えます。
蛇足かもしれませんが、『彩り』を認知再構成法の他に、仏教と関連付けてみます。
仏教では「日常そのものを尊ぶ」「今ここを生きる」ことが重視されます。
『彩り』は、特に以下の教えと響き合うように思います。
-
諸行無常:同じように見える日常も、実は常に変化している。
-
縁起:自分の営みは孤立したものではなく、誰かとのつながりの中に存在する。
『彩り』は「働くこと」「繰り返すこと」を虚無としてではなく、世界を彩る尊い行為として描きます。これは仏教の「日常に仏性を見る」視点と重なります。
Mr.Childrenアルバム『HOME』が発売された当時、私は高校生でした。
当然ですが、当時の私は認知行動療法など知りませんでした。
しかし、『彩り』に込められた肯定的なメッセージはしっかりと感じましたし、あの時受けた大きな感動は今でも覚えています。
Mr.Childrenの楽曲には、「ネガティブ→ポジティブ」の心情を表現したものが非常に多く存在します。『彩り』に限らず、Mr.Childrenの楽曲を味わうことで、自ずと認知再構成法的なマインドを得ることができるでしょう。
しかし、ここでは便宜上、Mr.Childrenの楽曲を通して認知再構成法について考えるプロセスを、ミスチル療法の一つ『彩り法』と位置付けることにしましょう。
28「ベストを尽くしている」の巻
私の心に残る言葉、第三弾です。
「あなたの子どもはベストを尽くしている」
『家庭と学校ですぐに役立つ 感情を爆発させる子どもへの接し方―DBT[弁証法的行動療法]スキルで感情と攻撃性をコントロールする方法―』より
子育てをする大人は、とにかくいろいろなことに悩むものです。自分の関わり方で子どもの育ち方が変わってしまう、ちゃんと育てなければ、という責任を感じている人がほとんどでしょう。
しかしその想いは、時として子どもを幸せにしたいという本来の方向とは違う方向へと現実を進めてしまいかねません。
なんといっても、子どもは大人の笑顔が大好きです。大人も同様、子どもの笑顔が大好きです。
なのに、なぜ、子どもを叱りつけてしまうのか。なのに、なぜ、子どもの前で笑顔でいられないのか。
それはひょっとしたら、あるがままを受け入れることができていないからかもしれません。
「こんなふうに育って欲しい」「こうあってほしい」
このような大人の想いは自然なことのように思えるかもしれません。しかし、このような想いを強く向けられる子どもはどうでしょうか。
「ぼくじゃだめなのかな」「わたしって今よいこじゃないのかな」って感じてしまわないでしょうか。
もっともっとと過度に望むことは、あるがままを受け入れることができていないということです。もっというと、それは否定なのです。一見否定に見えないだけで、つまりは否定なのです。
私は、この大切なことを、佐々木正美先生の『子どもへのまなざし』という本から学びました。あれは教員採用1年目の頃だったと思います。以来、『子どもへのまなざし』は私のバイブルとなっています。
採用5年目には、今回取り上げている言葉を知った『家庭と学校ですぐに役立つ 感情を爆発させる子どもへの接し方―DBT[弁証法的行動療法]スキルで感情と攻撃性をコントロールする方法―』に出会います。

親はこんなにがんばってるのに。教師はこんなにがんばっているのに。子どもはやる気を出さない。子どもは癇癪をおこす。子どもは暴言を吐く。
どうしてわからないんだ!という気持ちがこみあげてキツく当たってしまう。悲しいことですね。
でもね。あるがままを受け入れることができれば、どんなに心が楽になるか。
「あなたの子どもはベストを尽くしている」
「あなたの子どもはもっとうまくやる必要がある」
「あなたの子どもはもっとよくなろうとしている」
「あなたの子どもは状況に応じた行動を身につけなければならない」
大人も子どもも、みんなベストを尽くしている。
共に学ぼう。共に成長しよう。それでいいんだ。
このように考えることができれば、どれほど救われるかな。
そう思い、私は、特別支援教育だよりや教育センターでの研修などで、ことあるごとにこのことを伝えています。
子どもはベストを尽くしている
大人もベストを尽くしている
子どもも大人も、今よりもよくなっていける
27「ねぇ」の巻
私の心に残る言葉シリーズ、第二弾です。
ねぇ くるみ
この街の景色は君の目にどう映るの?
今の僕はどう見えるの?Mr.Children『くるみ』より
これは私の大好きなMr.Childrenの『くるみ』という曲の冒頭の歌詞です。

今の自分の境遇がつらいと思うとき。
今の自分の暮らしが充実していると思うとき。
今の自分はこれでよいのだろうかと思うとき。
いろんなときに、いろんな場面で、この歌詞とともに生きてきました。
「未来の自分から見ると、今の自分はどんな風に見えるのだろう。今していることは、これから先の人生にどんな意味を持つのだろう。それはわからないけど、後悔しないように“今”を生きよう。」
そんなことを考えるのです。もはや「ねえ くるみ」と聴くだけで。
ちなみに、「くるみ」というのは、未来を擬人化した言葉です。「これから来る未来」=「くるみ」というわけです。
これ、メタ認知ライフハックだと思いませんか?私は高校生の時にくるみに出会えて、Mr.Childrenに出会えて、本当によかったです。これまでくじけずに生きてこられたのは、Mr.Childrenのおかげと言っても過言ではありません。
私の心の中にはMr.Childrenが住んでいます。心の中にMr.Childrenがいることで、心の中で相談ができます。
何かに迷ったときに「こんなとき、桜井さんなら何て歌うかな」「うん、そうだよな」と、心の中で対話ができるのです。
心の中に住んでいるのはMr.Childrenであっても、自分に取り込まれている時点でそれはもう半分自分になっているのだと思います。
そして、そんな存在と頭の中での対話を繰り返しながら自分の行動を選択したり、悩みを乗り越えたりすることによって、ここまで生きてきたのでしょう。
この段階まで来れば、自己の力で、レジリエンスや自己肯定感を高めることも可能になります。私自信を振り返ると、そんな気がします。
自分の「心の杖」もしくは「心の道しるべ」ともいえるべき存在は、生きるうえで大切ですね。
ねぇ くるみ
これは私の、魔法のことばです。
26「努力」の巻
夏休みだというのにコロナになってしまって早5日。体調はだいぶ良くなってきたものの活動することもできず、暇を持て余しています。そこで久しぶりにブログでも書いてみるか、となったわけです。
今回は、「私の心に残る言葉」ということをテーマにしようと思います。
私はこれまで、いろんな人たちに助けられながら生きてきました。そして今、私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと。
また、壁に直面した時には1人静かに自問することもあります。1人は1人でも、心の中には他の人がいる。心の中の誰かが勇気づけてくれることも多いものです。
また、ふとした時に幸せに気づくこともあります。やってみよう!と、活力を抱くときもあります。
しみじみと感動することもあります。
そのような色々な時に、寄り添ってくれる『言葉』が、私の心の中に残り続けています。今日はそのような言葉の中からひとつ、紹介したいと思います。
おれたちみたいに素質も才能もないものは
こうやるしか方法はないんだ
漫画『キャプテン』より
これは、中学校の野球部を描いた漫画『キャプテン』の一巻に出てくる言葉です。
主人公の谷口タカオは、野球の名門校から転校してきたことで、みんなからとても期待されます。しかし谷口は名門校から来たと言っても、下手なのです。なのにみんなからもてはやされるので困ってしまいます。そこで谷口は父ちゃんと一緒に、みんなの知らないところで血の滲むような猛特訓をするのです。無茶して頑張りすぎる息子を心配する父ちゃんに、谷口が言ったのが、この言葉なのです。

私は、6年生の頃にこの漫画を読みました。近所の市民センターの本棚に置いてあったのです。昔の漫画でしたが、私はハマりました。いわゆる漫画的な、ものすごい能力などは出てきません。みんな普通の中学生なんです。それがいいんです。そのリアルがたまらなくいいのです。
谷口は、みんなに追いつくのがやっとだというのに、なんと次期キャプテンに任命されます。しかし努力を惜しまない谷口の根性と優しく素直な人間性により、部はきちんとまとまるのです。私は、思春期にこのような物語に触れることができ、本当によかったです。
私は、講師の頃、学期途中から突然学級崩壊気味のクラスの担任を命じられ、非常に苦しんだことがあります。また翌年は別の学校で、全体的には楽しくやっていましたが、学期に一度指導に来られる先生から授業や学級経営についてケチョンケチョンに叱られたことがあります。採用されてからも、うっかりな性格から学年団の先生方、学校中の先生方に迷惑をかけて落ち込んでいた時期もあります。
しかし私は、先生という仕事をやめたくありませんでした。子どものことは大好きです。小さい頃に憧れた先生みたいになりたいという夢があります。でも、現実はドジでうっかりで未熟者。そのような状況では、辞めてしまう人もいるでしょう。私だって、諦めかけたことはありました。しかし、続けることができました。
昨今Twitterを見ていると、辞める人が多いと感じます。もちろん、辛く苦しい所からは、逃げても良いです。しかし、その人たちを見るたびに思うのです。自分は本当によかった。周りの人に恵まれた。と。自分の心が強いのだと誇っているのではありません。しかし辛い状況にありながらも生き残ったことの要因として、周囲の恵みの他に自身の精神的な要素があるのだとすれば、それは出会った言葉達のおかげもあるのかもしれません。
お仕事を難なくこなしたくても、できない。
子どもが伸びる凄腕の先生になりたくても、なれない。
子どもたちの憧れになりたくても、なれない。
世の中そんな簡単じゃないから。でも、できるかできないかじゃない。やるんだ。努力するしかない。
働き方改革、大切なことです。ワークライフバランス、大切なことです。しかしそれ言ってて、夢、かないますかって話です。大事なことは、自分がよくわかっていますね。
最後に、これはあくまで自分向け。人に対しては、こんなにストイックなことは望みません。
おれたちのように素質も才能もないものは
こうやるしか方法はないんだ。
いつの日もこの胸に残っている言葉。
25「GIFTはつながりの中に」の巻
2008年、夏。
北京オリンピックのNHKテーマソングに、Mr.Childrenの『GIFT』が起用されました。
私は当時、大学1年生でした。
入学して間もなく、GIFTよりも前に、NHKのドラマ「バッテリー」の主題歌にMr.Childrenの『少年』が起用されており、それに喜んでいたところにGIFTの発表がありました。
もう少し言うと、GIFTの発表というより、「GIFT、HOME tourのDVD、HANABIの3ヶ月連続リリース」の発表でした。
これには心躍る気持ちでした。あの夏の気持ちは今でもよく覚えています。
さて、今回の本題は「GIFT」です。
そのGIFTのシングルCDは
- GIFT
- 横断歩道を渡る人たち
- 風と星とメビウスの輪
の3曲を収録しています。
GIFTのシングルCDは、そのジャケットも歌詞カードも、とても素敵なものになっています。

このジャケットが表すように、私は、GIFTというシングルCDに収録される3曲には共通のテーマがあり、そのテーマによって3曲がひとつになっているように思います。
今回は、そのことについて考えていきたいと思います。
テーマは「つながり」
この3曲に共通するテーマ。それは「つながり」だと思います。
これはあくまでも個人的な見解ですが、それぞれの曲が「つながり」というテーマを持っているように思うのです。
ということで、1曲ずつ見ていきましょう。
まずは「GIFT」です。
Mr.Children 「GIFT」 MUSIC VIDEO - YouTube
GIFTの歌詞に、次のような印象的なくだりがあります。
白と黒のその間に 無限の色が広がってる
これは言い換えると、白と黒との間に明確な境界線はなく、その間は色の連続体(スペクトラム)となっている、といったところでしょうか。
つまり、色同士はそれぞれに独立するものというより、「つながり」合っているのです。もしくはとけ合っていると言っても良いかもしれません。
また、2番の歌詞では別のことを歌っているのですが、これもまた「つながり」を示唆している歌詞と言えるのではないでしょうか。
降り注ぐ日差しがあって だからこそ日陰もあって
その全てが意味を持って 互いを讃えているのなら
もうどんな場所にいても 光を感じれるよ
これも、日差しと日陰は切り離された存在ではなく、関係を持っているということをうたっているではありませんか。
そしてこの歌詞の優しいところは、そのどちらからも私たちは恩恵を受けていると言うところです。
さらに何と言っても、この歌の醍醐味は次の部分ではないでしょうか。
今君に贈るよ 気に入るかな? 受け取ってよ
君とだから探せたよ 僕の方こそありがとう




なんて幸せな歌でしょう。
贈ることの喜び。もらうことの喜び。
それはそう、『つながっている』ことの喜びです。
「ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。」
GIFTでも、この喜ばせあいっこの幸せを讃えています。
ライブ会場では、何万人もの人が一堂に介して幸せに浸ります。GIFTの素晴らしさは、ライブで何倍にも膨れ上がるので、是非とも皆さんに観ていただきたいです。
Mr.Children DOME & STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving 25 (前編) - YouTube
GIFTは26:58〜
さて、2曲目は「横断歩道を渡る人たち」です。
この曲は、街で見かける人たちの姿から、いろんなことを考えていく歌になっています。
Mr.Children「横断歩道を渡る人たち」Split the Difference - YouTube
こちらはライブのアレンジでしっとり始まり、次第に盛り上がっていくものになっています。
この歌では、いろんな人を観察し、所感を述べた後に繰り返し使われるフレーズがあります。そのくだりこそ、「つながり」なのではないかと思うのです。
昨日の僕が 明日の僕が
今 目の前を通り過ぎていく
1番では、腰の曲がった老人。
2番では、スカートの丈がひどく短い女性。
3番では、玩具屋の前で泣いてゴネる子どもと怒っている母親。
4番では、ギターケースを抱えた少年たち。
この人たちを車の中から観察する際の着眼が流石なのもこの歌の醍醐味のひとつ。
そして、その人たちのことを「昨日の僕」「明日の僕」だと考えています。
目の前を通り過ぎる人たちに、自分を投影して見ているのです。
知らない人たちだけど、そこに自分との共通点を見つけることもあれば、未来の自分を想像することもある。
道行く人たちを、単なる景色として無視するのではなくて、自分と関係づけて考えています。
一口に「人と人のつながり」と言っても、その形は様々だと思います。この歌では「歌い手」と「横断歩道を渡る人たち」は人間関係を築いてはいませんが、これも一つの「つながり」の形だと思うのです。
それこそ、2022年12月30日に公開された映画「Mr.Children GIFT for you」の話になりますが、私たちリスナーは、Mr.Childrenとつながっていること、また、リスナー同士もMr.Childrenを通してつながっているのだと感じました。
これって素敵なことですよね。
横断歩道を渡る人たちの歌を聴くと、みんなつながってるんだなと、そう感じるのです。
さて、3曲目の「風と星とメビウスの輪」です。
Mr.Children Tour 2018-19 重力と呼吸 In TAIPEI [期間限定公開] - YouTube
期間限定公開のライブ映像ですが、風と星とメビウスの輪は2:00:39から始まります。
「つながり」というキーワードを最も連想しやすいのはこの歌ではないでしょうか。

紙などの帯状の長方形の片方の端を180°ひねり、他方の端に貼り合わせると、メビウスの輪ができます。
メビウスの輪は、無限の繰り返しを比喩的に表すものとしても知られています。
「風と星とメビウスの輪」でも、とても美しいつながりを表現しています。
抱かれて 磨かれて
輝くことで また抱かれて
君と僕が
そんなメビウスの輪の上を歩けたなら
愛されて 優しくなれて
その優しさ故に愛されて
君と僕が
そんなメビウスの輪の上を笑いながら
寄り添って歩けたなら
この場合、つながりは「連なり」「連続」「繰り返し」と言い換えることができますね。
何という美しい歌詞でしょうか。後世に語り継ぎたい歌詞だと思います。
3曲のつながり
いかがでしたでしょうか。
「つながり」をテーマにした3つの曲が同じCDに収録されていること、そしてそれをジャケットで表現していること、見事ですよね。
このように考えると、この世界が、また一つ愛おしく思えてくるのではないでしょうか。
そう誰も1人じゃないんだ。
ONE PIECEで、幼いロビンの命を救ったサウロも言っていますよね。

さあ、このブログを読んで、誰かにGIFTを贈りたくなったかもしれませんね。
誰かからもらっているGIFTに、改めて気づいたかもしれませんね。
つながりのあるところに、GIFTはあります。
逆を言えば、GIFTはつながりの証です。
大切にしたいですね。
24「花、彩り、賛美」の巻
1996年、春。
Mr.Childrenは「花 -Memento-Mori-」という曲をリリースした。
『負けないように 枯れないように
笑って咲く 花になろう』
サビのこの歌詞に支えられた人も多いだろう。
2番では
『等身大の自分だって きっと愛せるから
最大限の夢描くよ
たとえ無謀だと人が笑ってもいいや』
と、大きな夢を描くと歌う。
これは自己肯定感の歌ともいえる。
そして10年後。
2006年、夏。
Mr.Childrenはフェスにて「彩り」という曲を初披露した。
『僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑』
大スターのミスチルがどうしてこのような庶民感動ソングを歌えるのか不思議で仕方がない。明らかに悟っている。
2番の歌詞ではさらに、
『憧れにはほど遠くって 手を伸ばしても届かなくて
カタログは付箋したまんま ゴミ箱へと捨てるのがオチ
そして些細な生き甲斐は 時に馬鹿馬鹿しく思える
あわてて僕は彩を探す
にじんでいても 金 銀 紫』
と、あるがままを受け入れ、その中に幸せを見出している。
等身大の自分を愛しつつ「最大限の夢」を描いていた20代。
あるがままを受け入れて「現在の暮らし」を讃えた30代。
そしてさらに時は流れ、2020年、冬。
Mr.Childrenは「The song of praise」という曲を発表した。
『積み上げて
また叩き壊して
今僕が立ってる居場所を
憎みながら
愛していく
ここにある景色を讃えて』
「花」から24年、「彩り」から14年を経たMr.Childrenの詩。
『いつも取るに足らないことに頭悩まされてた
毛頭 それで何か変わりそうな予感すらしていないのに』
これは、同年代の友人たちが家族を築いていった頃のことだろうか。
『昔は 自分の価値を過信しては
高い空を見上げて過ごした』
これは、最大限の夢を描いていた頃のことだろうか。
『駅ビルの四角い窓から
時々 夕日が顔を出し
憐れむように
讃えるように
僕の顔を照らした』
これは、彩り的な自己肯定か。
『僕に残されている
未来の可能性や時間があっても
実際 今の僕のままの方が
価値がある気がしてんだよ』
これは、あるがままを受け入れることができたからだろうか。
『そう誰もひとりじゃないんだ
僕だって小さな歯車
今なら 違う誰かの夢を通して
自分の夢も輝かせていけるんだ』
これは明らかに彩りのスピリッツとリンクする。
『誰もひとりじゃない
きっとどっかで繋がって
この世界を動かす小さな歯車
誰もひとりじゃない
だからどっかでぶつかって
この世界で藻掻く小さな
そう小さな歯車』
これは、「現在の暮らし」を、リフレーミング的にいろんな角度から見ている。
憐れむように、讃えるように、その愛眼差しで人を観ている。
『積み上げて
また叩き壊して
今僕が立ってる居場所を
嫌いながら
愛していく
ここにある景色を讃えたい』
「彩り」的に、現在を「受け入れる」ことができたからこそ、「讃える」ことが可能となる。
さらに、それをも叩き壊して、また積み上げる。
よりよくあろうとする「花」的スピリッツも、ないものねだりを辞めた「彩り」的スピリッツも失われていない。
「積み重ね」て、「踏まえ」ている。
その魂は、時の経過とともに風化することなく、時間のタオルで磨かれている。
これが、いまのMr.Children。
参考
Mr.Children「花 -Memento-Mori-」1996年
Mr.Children「彩り」2006年
Mr.Children「The song of praise」2020年
23「終わりなき皮膚呼吸」の巻
なんのためにうまれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ
のっけからMr.Childrenではなくアンパンマンで始めてしまった。
アンパンマンは深い。これは誰も異論はないだろう。なぜならそれは人の永遠のテーマであろうからだ。
しかしなぜ「終わりなき皮膚呼吸」というタイトルのブログの冒頭をアンパンマンが飾ってしまうのか?
それは、Mr.Childrenの「終わりなき旅」も「皮膚呼吸」も、アンパンマンに通じる人生のテーマを感じるからだ。
この2曲からは共通のテーマ、すなわち
「この命を通して何を為すか」だったり、
「この命を何者たらしめようか」だったり、
「この命でどう生きてきたか」だったりということを、訴えとして感じるからだ。
詳しく語るために、まずは概要にふれておこう。
1992年メジャーデビュー。1990年代中頃、発表する作品が次々にミリオンヒットを記録し、社会現象を巻き起こした。デビューから約30年を経た令和でも、CDを発売すれば週間チャート1位を獲るスーパーバンド。メンバーは現在51歳。
「終わりなき旅」
Mr.Childrenが多忙を極めた末、活動休止をしたのが1997年。そして1999年、このシングルの発売とともに本格的に活動を再開する。どんな時も自分らしく生きよう、よりよく生きるために前進しよう、という内容の歌詞に勇気づけられる人は多く、世界的アスリートなどからも多く支持を得る、自身の代表曲の1つ。Mr.Childrenのシングルでは、現時点で最後のミリオンヒット作。
「皮膚呼吸」
2018年発売のアルバム「重力と呼吸」の最後に収録されているアルバム曲。タイアップ等は一切無いが、ブログ主からは「終わりなき旅の現代版」と評されるほどの素晴らしい曲。その心は…
皮膚呼吸の歌詞は、こう始まる。
と、ある日
顳(こめかみ)の奥から声がして
「それで満足ですか?」って
尋ねてきた冗談だろう!?
もう試さないでよ
自分探しに夢中でいられるような
子供じゃない
これが、モンスターバンドとして25年活動してきたMr.Children桜井和寿から生まれた言葉だ。
そして、このこめかみからの声に対し、このように展開される。
でも
皮膚呼吸して 無我夢中で体中に取り入れた
微かな酸素が 今の僕を作ってる そう信じたい
I'm only dreamin', but I'm only believin'
I can't stop dreamin'
このまま
切なさに息が詰まったときが
それを試すとき
さらに、
苦しみに息が詰まったときも
また姿 変えながら
そう今日も
自分を試すとき
これは、終わりなき旅が円熟味を帯びたものだと捉えることができよう。
重力と呼吸発売以来、アルバムで1番のお気に入りの曲だ。
これまでものすごい実績を残してきて、こんなに最強なポジションにいて、この上まだ己を高めようというのか。いったいいつまで…
その姿勢に、強く心を打たれるのだ。
終わりなき旅は、「本当に」終わりなき旅なのだと思い知らされる。
ところで先日。
もとい、と、ある日。
私のこめかみの奥から、突然ふたつの言葉がやってきた。
そのふたつの言葉とは、
「積み重ね」と「踏まえる」。
いったい何故なのか、よくわからない。
しかし、確かにこのふたつの言葉が浮かんだのだ。
車を運転している最中に。
そのことが、いったい何を意味するのか。
この突然の訪れを機に、少し考えた。
私は大学を卒業して10年目の小学校教員だ。
教師は、子どもの頃からなりたかった職業だ。
その職業には就けた。でも、それで満足ですか?
…。
なりたい教師にはなれたか?
…。
なりたい自分にはなれたか?
…。
私が初めてクラスの担任をしたのは、4月ではなく、6月からだった。
なぜかと言うと、そのクラスの先生が病気休暇をとられ、その代わりに私が担任となったからだ。
私は、そのクラスでまともに授業をすることも、学級集団をまとめることもできなかった。
授業中に教室内でボール遊びをする子たちがいた。
いじめをし、私が間に入って体を張って止めようとしても、殴るのをやめない子もいた。
当然、保護者からはクレームが届いた。
私は自分の無力さに絶望し、毎日お風呂や布団で泣いていた。
「俺なんかが担任じゃ、みんながかわいそうだ。」
自分は教師に向いていないのかと、何度も思った。
程なくして、産休明けの別の先生が担任を交代した。
私の初担任は、2ヶ月もなく終了した。それと同時に、学級崩壊というものの恐ろしさを体感した。
それからというもの、私は本を読むようになった。
また、さまざまな研修に積極的に参加するようになった。
次第に「勉強熱心」と周りの先生から言われることが増えてきた。
でも、私の気持ちは常に「ビハインド」だった。
そして今、大学卒業から10年という年齢になった。
体感としては「ビハインド」のままだ。
学校の仕事は、うまくいかないことが多い。
しかし、あの学級崩壊のときと同じかと問えば、それはもちろん違う。
あれからたくさんの勉強もしたし、経験も積んだ。
今では特別支援教育コーディネーターだし、特別支援教育士の資格もあるし、教育センターで研修の講師も務めた。
いったいいつからこのようなポジションに立つようになったのか。
いったいいつから子どもの対応について相談を受けるようになったのか。
それはよくわからない。もっと言えば、それは自分の力としての表れなのか何なのかもわからない。
ただひとつたしかにわかるのは、私はあの日の自分とは違うということだ。
私はどんな経験を重ねてきたのか。
そしてそれを踏まえて、どう変わってきたのか。
そしてこれから、どのように変わっていくのか。
自分で歩くことで確かめられることが、確かにある。
現代は、インターネット、とりわけSNSの普及により、様々な考えや手法が簡単に閲覧できるし、簡単に発信できる。それにはきっと、良いところも良くないところもあると思う。
良いところは、見聞を広めることができることだと思う。
しかしそのような情報は出どころが不確実であったり、内容の信憑生が保証されていなかったり、表面上の部分しか見えなかったりする。
そうすると、そこには、私が10年間続けてきたような「積み重ね」もなければ「踏まえる」べき事実も見えない。
結局は画面の表層を軽く触れているだけになってしまう、という危険性も孕んでいる。
勉強することはいいことだ。
しかしながらやはり、自分の血肉となり、明日の自分を創っていくのは、皮膚呼吸して無我夢中で取り入れてきた酸素であったり、息を切らして駆け抜けてきた日々であったり、姿を変えながら自分を試してきた「今」の連続だったりする。
自分が目指しているものは何か。
その模索の道の中で見つけてきたものは何か。
その過程で築いてきたものは何か。
それを問い続けながら一歩、また一歩と足を出していくことが、「積み重ねる」ということと「踏まえる」ということなのだろう。
皮膚呼吸しながら、終わりなき旅は続く。